共同宣教司牧ニュース 31号

多くが来年度に延期となったサポートチーム主催の講座ですが、人数や方法を工夫して開催している講座、昨年度の最終回を今秋開催した講座もあります。講座の講師と受講生の皆様にも同テーマで原稿をお寄せいただきました。2回に渡ってお届けします。


キリスト教入門講座カテキスタ養成エッセンス

忍耐によってあなたがたは命をかち取りなさい(ルカ21.19)

小笠原 優 ( 菊名教会・主任司祭 )

人類全体を突然襲った、新型コロナウィルスの感染拡大の脅威におびえた2020年も終わりを迎えますが、しかし、今のところ拡大の勢いはおさまっていません。対抗措置としての「三密を避ける」運動は、それなりの効果をあげているようです。しかし、当然としてきた社会の動きはマヒしてしまい、大きな不安と苦痛を強いられているのが現状です。教会も例外ではありません。まさに私たちの信仰が問われているところです。
「忍耐によってあなたがたは命をかち取りなさい」(ルカ21.19)。エルサレム陥落の危機を予見したイエスの弟子らへの言葉です。「忍耐」と訳された聖書本来の言葉の意味は「自分の置かれた場にしっかりと踏みとどまること」です。辛抱や忍耐という苦痛を帯びた「我慢」とは意味合いが違い、聖書では「希望」と結びついていることに注目しなければなりません。また「命をかち取りなさい。」とありますが、「勝ち取る」とは原文では「自分自身のものとする」です。「忍耐によってあなたがたは命をかち取りなさい」と弟子たちに声をかけ、「自分自身の足元をよく見つめて踏ん張り、自分を確保しなさい」あるいは、「自分自身を見失うな」とイエスは励ますのです。不安や恐怖にかられると、人は容易に自分を見失い根拠のなきうわさや悪宣伝に惑わされるものです。しかしイエス・キリストは私たちの踏みとどまるべき足台にとなってくださり、希望を与え、自分を見失わぬよう常にともにいて下さる方です。先行きが見えない「現在」、信仰の原点にもどり、救い主の導きを心を一つにして祈り、それに応えていく勇気と力を願い求めてまいりましょう。


チームメンバー 岡野憲一( 講座スタッフ・逗子教会 )

2020年、春、未知の新型コロナウィルスと言う、感染に恐れる地球環境の世の中に変わってしまいました。毎日の生活に落ち着きが出て来たこの頃、感じていることは、走り続けていた自分に気づきました。そして、ゆっくり振り返ってみる事が、出来るようになりました。不思議な出会いから始まった、教会を中心とした、新しい人生が始まって、今に至っています。外出を控えた毎日の生活の中で、不思議と、いままでに出会った沢山の方とのそれぞれの事が、思い出されてきます。ただ、出会ったということではなく、そのことが、おおくの、方に支えられて過ごさせて頂いたと、恵みとして、感謝しています。


カトリック入門講座担当者 養成コース

久我純彦( 秦野教会 )

「共同宣教司牧サポートチーム神奈川」からの要請を受け、年22回の「カトリック入門講座担当者養成コース」(元ヘルパー養成コース)を、2005年から2019年までに10期開催することができました。37教会から延べ250人を超える方々が受講され、多くの方がチームを組んで、それぞれの教会で講座を担当しておられます。

このコースはもともと聖コロンバン会のグリフィン神父様が、成人の入信過程を段階的に行う初期の教会のやり方に戻すという、第二バチカン公会議の改革方針に合せてつくられたものです。
2004年に現在のサポートチーム神奈川から依頼を受けた時、ご高齢のために引退しておられた師から使用の許可を頂き、そのご指導のもとに書き改めたものを現在使用しています。

3期から成るこのコースの特徴は第一期にあり、参加者は安心できる集いの中で、分かち合いを通して、神と出会うことのできるありのままの自分になっていくところにあります。この作業は人間の努力だけで出来るものではなく、集いの中におられる主・聖霊が、参加者の分かち合いを通して働いてくださるという信仰に基づく確信によって可能になります。
神が出会おうとして捜しておられるのは、実在しないあるべき姿としての私ではなく、実在している不完全で、未熟で、葛藤の内に生きている私なので、その私を大切な私として受け入れられて初めて、神との出会い、大切なものとしてのお互いの出会いが可能になるからです。
二期では、祈り方と聖書の読み方を確かめた上で、聖書の中のイエスと出会い、イエスがどのような出会いを大切にしておられたかを体験した上で、自分の人生の過去をありのままに受け取ってくださっている神に感謝し、安心してこれからの人生を築いていきます。三期では秘跡を通して神の恵みの中で、教会共同体の一員として生きる道を歩み始めます。

今年の2月から、新型コロナウィルスの感染拡大で、ほとんどの講座が中止となってしまいましたが、6月からの予定だったこのコースは、9人の参加希望者を得、会場となるカトリック二宮教会の御理解も頂くことが出来、感染防止に万全を期しながら無事始めることが出来ました。広々とした海を望む松林の中にある二宮教会という恵まれた環境の中で、保土ヶ谷・鍛冶ヶ谷・大船・二宮各教会所属の信徒スタッフと共にコースを楽しく進めています。
開かれた集いですので、興味のある神父様方、修道者・信徒の皆さま、気軽に顔を出してください。スタッフ・参加者一同で歓迎いたします。


コロナ禍での信仰者として自分が変わったこと

渡辺千香(保土ヶ谷教会)

今年2月からの突然の新型コロナウィルスの感染拡大、私は兎に角この感染症が恐ろしかった。様々な情報が飛び交う中、何が正しいのか?どう感じたら良いのか?きっとこの出来事には神様のメッセージが隠れているという思いはあったが、不安だった。
6月、講座が始まり「何が正しいか?間違っているか?ではなく、神の子として本物か偽物か?自分に聞く事が大事。」と久我神父さまのお話があった。そして、この5ヶ月間どう感じたら良いか? ではなく、どう感じているのか?恐れも含めて、ありのままの自分を受け止めることで、神と出会うことを仲間と共に教えていただいている。今、恐れは減り、過度な不安もない。入門講座でも、この経験を活かしていきたい。


今感じていること

コーススタッフ 戸上雄司( 保土ヶ谷教会 )

入門講座担当者養成コースは、コロナウィルスの感染防止に気を付けながら、また二宮教会の協力も得て、これまで続けることができています。スタートが6月半ばと遅かったこと、今回から二宮という比較的閑静な場所に変ったこと、参加人数が多くないことなど好条件が重なっています。聖霊の働きを感じます。
これから感染がさらに拡大したらこの集い・交わりがどうなるのか、自分を含めて感染者が出たらなど、不安と恐れはあります。でも、わたしたちにできないことに思いわずらうことはやめて、わたしたちができることに、そして今に集中していくことが大切だと、この状況の中、改めて感じています。


キリスト者のための対話法基礎・実践コース

コロナ禍から聴こえた「命への繋がり広がり」

チームメンバー小野恭世( イエズス孝女会 )

昨年度の「キリスト者のための対話法」講座の基本・実践コースの最終回を、この10月にやっと開講し、8ヶ月ぶりに受講生の方々と再会しました。最終回の講座では、「コロナ禍からの気づき」「受講からの変化」「これからの意識化」という3つの視点から「自分を聴き、自分を語り、互いに届け合う」ひと時を持ちました。
初めに“自分を聴く20分“として呼吸法を通して、各自の内的作業「観想の時」を持ち、個々の内なる声を言葉にしたのでした。私は、その言葉の奥から、その人に語りかけ、その人を活かし運ばれておられる神の御手が重なり観え・聴こえてくるようで感動を覚え、まさに、「神は一つの事を語られ、私は二つの事を学んだ」如くに。また、イエスに結ばれている「ブドウの木」の如くに、互いの命が神へと繋がり・広がっているひと時を刻みました。


野口富子( 大磯教会 )

私は、2012年に受洗の機会を得ました。昨年5月からシスター小野の“キリスト者の対話法傾聴奉仕者(基礎コース)”を受け、その中で人と関わる前にまず自分を知り、自分を聴く、ということを知りました。それは、理性に頼るのではなく感情の動きに敏感になるということでした。そしてそれまでの自分の感性はまるで原石のままであったことに気づかせられました。鈍かった感性に気づき、自分の気持ちと向き合えるようになり、嬉しい、ワクワクする自分を味わい、自分を解放していきつつ、今までになかった自分を体験出来たりしています。3月、最終講座一回を残してコロナ休みになってしまってから10月に行われた最終回までのコロナ禍での約半年は、自分にとって講座で授けていただいたことをじっくりと観想するよいお恵みの時となりました。
ロザリオの祈りは10月のものでしょ、としか捉えていなかったのを、5時から始めるようになった早朝ウォーキングから戻って一環、ひと薔薇ひと薔薇、想いをこめて祈り、“今日のみことば”も毎日味わうようになりました。
いつも自分を中心に考えていたのに、相手はどうなのだろうか、と寄り添おうとしている自分、相手を聴こうとしている自分が居ます。
コロナ禍で始めたお祈りを通して、神を聴き、自分が変わってきたことを感じます。何よりも神様が共にいらして下さることを強く実感しています。
たとえ困難なことを得ても、神様が寄り添って居て下さると確信できるようになりました。振り返ると、受洗からもう8年も経ちました。このコロナ禍で世の中はいろいろ困難な状況にありますが、私にとってはたくさんのお恵みをいただき、喜びを得た時でした。


チームメンバー北尾 都( 新子安教会 )

死は生命と同じく賜物。障害も認知症もすべて神様からのいただきもの。だから人は神様のもとに帰り、命をお返しするその時まで御手に運ばれて生きる、と、頭では分かっていたつもりのことが、コロナ明けの対話法講座とチームミーティングで聴かせていただいた「言葉」をとおして、肚に落ちたように思います。禍中、自宅で何不自由なく過ごした日々、多少の後ろめたさは感じても、復活されたキリストの声は届いていませんでした。再開した平日ミサに与り、この現実を生き易くする富や権威・ステータスを「キリストのゆえに損失」と言い切るパウロを朗読し、恥じ入るばかりでした。でも覚悟を決めて安全地帯から踏み出したら、最も小さい人の中で私を待っておられた「主」に再会することが出来ました。照れくさいやら申し訳ないやら・・・。思い返せば私の人生、こんなことの繰り返しの気がします。


傾聴講座を体験して

今井裕子( 相模原教会 )

私は傾聴講座に参加して、人の気持ちを聴くのが苦手なことに気づくことができました。それは自分の気持ちをちゃんと聴くことをしてこなかったから。自分の気持を十分に聴くことをしないで、頭で理解し、気持ちを切り替えてきたことに気づきました。正直な自分の気持ちを聴くことができるようになったのは最大の収穫です。コロナ禍の生活は、人によっては普段の10倍ものストレスを感じています。こうすれば大丈夫というはっきりとしたものがないので、気持ちを聴くことしかできません。それでもお互いに気持ちを聴くことができたなら、手探りしながら支え合うことができるのではないかと思っています。
シスター小野とスタッフの皆さんの温かくも真摯な雰囲気の中で、心を開いて参加することができましたこと心から感謝いたします。


講座の最終回を開催して

チームメンバー 山崎清美( 秦野教会 )

コロナ禍の中、講座の開催がなかなか出来ず、8ヶ月ぶりに受講者の方々と再会できました。最終回はいつものように、「自分を聴き、自分を語り、互いに届け合う」ひと時を持ちました。コロナ禍の中で、みなさんそれぞれに感じられたことを語ってくださりました。あらためて集うことの大切さを感じました。このコロナ禍の中で、私にとって教会とは、信仰、家族、生活について、考える時間をいただきました。
「今」を大事に、日々の生活に感謝しながら、ゆっくり歩んで生きたいと思います。

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