共同宣教司牧ニュース 34号

共同宣教司牧サポートチーム神奈川 2022. 1. 31 発行

今、優先すべきことは?

第7地区相模原教会・サポートチームメンバー マリノ・デハクト

私たちは何かをやるとか、あるいは決意する時、その行動による必然の結果が伴います。その結果は自分だけではなく他の人たちにも影響を与えるので、自分の行動の責任を取るということは当然です。私たちは自分の行動による結果から逃げてはいけないし、立ち向かわなければならないでしょう。しかし私たちは悪いことが起こる時自分ではなくて他の人を責める傾向があります。私たちは自分の過ちを認めたくないし、責任からも逃げたいという気持ちがあるからです。責任を取らないといけないことを分かっていますが、なかなか難しいものです。でも私たちは成長するために責任を取るということを学ぶべきです。信仰生活も豊かなものになるために責任を取るということは大切です。

マタイの福音書、21章28節から32節まで「二人の息子」というたとえ話が書かれています。このたとえ話によってイエス様は責任を取るということはどういうことなのかを話されました。その時イエス様はエルサレムに入って当時の大司祭たち、長老たちに向かってこのたとえ話をされました。その人たちは口先だけで律法について話しても守っていなかったし、彼らの行いと言っていることは全く違うので、イエス様はこの人たちに対してものすごく厳しいことをおっしゃいました。イエス様はたとえ話を使って彼らの偽善に対して批判なさいました。たとえ話で出た二人の息子というのはファリサイ派、つまり自分たちが正しいと思っている人たちと回心した人たちを表しています。弟は父親の命令に従うと言いましたが、守りませんでした。この弟はファリサイ派、祭司長、立法学者たちと同じだとイエス様は伝えたかったのです。考え直した兄は回心した罪人のような者です。だからイエス様は神殿の境内で当時の社会の指導者より回心した罪人のほうが先に天国に入るとことが出来るとおっしゃったのです。

私たちには、様々な責務があると思いますが、一番大事なのは霊的な面のことでしょう。私たちもたとえ話に出た二人の息子のように神様の畑で働くために招かれています。最初からイエス様に喜々として従うことは、私たちキリスト者にとって望ましいことです。私たちには、どんなことがあってもイエス様に従うという責任があるからです。私たちは選択する自由がありますが、それに伴う責任があり、そのことは非常に大切です。それによって私たちが神様の前に立つ時、他の人ではなく私たち自身が、何をしたのか神様の前で裁かれるのです。エゼキエル書18章25節にこう書かれています。「正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。」と。神様は私たちを救われるために招いておられます。それに正しく答えることができるように“責任を取る”ということを実践することが必要です。特に、現在コロナの影響で私たちにとって大変な時となりました。私たちの日常生活は今まで考えたことがないような生き方に変わりました。しかし、私たちの信仰の旅は、どんなことがあっても続けるべきものなのです。神様に祈りと感謝を捧げることは、試練と危機の時、最も大事なものです。

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