Under Construction
コロナ禍で感じた事
Y. K.
コロナパンデミックにより世界中が一変し、生活を一から見直すチャンスを与えられた。私の一日の過ごし方も同様だ。以前は朝ミサに授かり、仕事、趣味や運動、ボランティア、教会活動、毎日忙しく、一日の終わりは、‘今日も一日充実していた’等と自己満足して眠りについていた。
ところが、感染が広がり行動を政府から制限されると仕事はキャンセル。夫も3月で退職し、自宅で共に過ごすこととなった。趣味もボランティア活動も中止、朝の散歩を夫と始める事になり、周りからは仲いいねとか言われる様になった。スケジュールに追われること無く、慌ただしい日々を過ごしていたのが不思議に思えた。将来の生活を見直し、手放すべきことは手放した。神様から見直すチャンスを与えられたのだと思った。
何か月もの間、人との関りが無いと喜怒哀楽が少なくなる。私たちは人との関りで色々学び、紆余曲折して生きている。テレビドラマを観て感情移入し発散させる事も一つの手段だが、人との温かい触れ合いでどれほど癒され、学ばせてもらっていたのかと思った。社会は働き方改革が進み、人の移動は減って、近くのオフィースビルは引っ越しが相次ぎ随分空き事務所が増えてきている。自宅で仕事をする弊害も子供たちから聞いているが、今は何より大きな変化に対応していかなければならない。
その様な中で心の安定をもたらせてくれたのは祈ることだった。祈りは私達に力を与えてくれると確信した。
これまで自宅で過ごされていた方々、特にお年寄りや外国籍の方々も最近はミサに足を運んでいる。やはり祈ることを皆飢えていたのだろう。
私達にこの様に考える機会を与えて下さった神は偉大だ。
つながること つなげられること
船戸美穂(厚木教会)
今年はコロナ禍のおかげで自宅自粛が要請され、主日のミサにもあずかれない状況が続きました。神様の話しでおしゃべりに花をさかせていた友人にも会えなくなり、人と関わって初めて宣教司牧のお役目が果たせるのにその手段もなくなってしまいました。家の中に閉じこもって「キリスト者としてどう生きていくのか」不安な気持ちになっていました。
そのころ菊池大司教様のミサ説教で、教皇様のことば「わたしたちが置かれている場で日常の雑務を通して自分にできることを愛を持って誠実に示すことが神様に求められています」というメッセージをいただきました。「今自分に出来ること?」を探すうちに布マスクでも効果があることを知り、母の遺した箪笥の中にあった封のついた晒ですが漂白・アイロンをかけ、心に思う大事な方々を思いながらマスクを作りました。久々の手紙も添えて送りました。
その中に母の友人がいました。そうとう高齢で、毎年の季節のカードを受け取っていただくことでお元気にお過ごしを確認するような方でした。「大切な人を思いながらマスクを作りました。作るのに夢中になってお祈りが二の次になってしまいました。」と手紙を添えて送りました。するとお返事がきました。「マスク宝物にします。あなたのお祈り私に手伝わせてください。」
この手紙をいただいた時、わたしのミシンに向かう時間が一気に神さまへの祈りに代わったような、母の友人を通して神様と繋がっている広がりを感じました。
大滝早智子(藤が丘教会)
世界中に蔓延した新型コロナウィルス。今まで体験したことの無い日常を過ごし、二度目の冬を迎えました。コロナ禍で私たちは物理的に人との距離を離されました。気づかないうちに心も離されていました。制約された日常をじっと我慢している自分に気づかされました。出来ない事を数えるのでなく、今出来ることに感謝しよう。
今、会えなかったら手紙を書こう。
今、気になっている人の声を聴こう
春の花の種をまこう。
マスクをして心が沈んでいても心からの笑顔で挨拶しよう。
苦しんでいる方に思いを寄せて祈ろう。
そう思い行動したら心が前を向きました。
私はこの試練の中で共に居てくださる神をより身近に感じています。
未信者の葬儀
渡辺晃行(大磯教会)
コロナ禍の中で、未信者の葬儀を行いました。最初は無理と思いましたが、神父様はやってあげたいということでした。かつて教会で結婚式をあげ、その上14年前にお父様の葬儀も行ったそうです。そこで急きょ葬儀係りを招集しご家族と相談しました。結果、家族葬の形で参加者を絞り、ほぼ通常どおりの葬儀を行うことになりました。教会の典礼のスタッフも通常通り集りました。30数年前の結婚式のアルバムが保存されていたので、それを基に、親しく話し合いました。当時の結婚式のオルガニストが、葬儀のオルガンを弾くことになりました。
葬儀は、ひっそりとした家族葬で、それでも荘厳に営まれました。ご家族は教会を非常に身近に感じられているようで、とても良い宣教になりました。コロナ禍の中で、100%の対応が出来たと思います。さすが神父様、出来ることはやってあげなさいと、目からウロコでした。
「あなたは幸せ」と言われ「自分は恵まれていた」のかと気付いた
桜井博成(戸塚教会)
私は、5~7月の間、県境をまたぐことができずに単身赴任先の福島県内に留まっていた。仙台教区は横浜よりもミサ中止の決定が後になり、また原町教会(南相馬)はミサ中止が決まっても聖堂を閉じず、完全に休止状態とする指示があるまで、ミサはなくても聖体を拝領することができた。
冒頭のひと言は、この境遇をメールのやり取りで横浜の仲間に伝えたときの返信。教会に行くことができる幸せと恵みは私たちにとってとても大きなこと。反面「それ」が無くなった時のかつえに対峙したとき、心の平衡をとるにはこれが今の自分の日常なのだと、明日のことを思い悩まないようにしていた。
鈴木真( 山手教会 )
東日本大震災の時もそうでしたが、危機に瀕すると、人間がいかに罪深いかと、逆に信仰者でなくとも他人を気遣うことのできる心を持った存在なのだという、いわばマイナスの面とプラスの両面を感じました。不安からどうしても自分や自分の家族を優先してしまう、例えば買いだめとか、そしてコロナ禍に乗じた詐欺行為など、どんだけ~・・・ と思ってしまう反面、医療従事者の方々への応援や、社会の片隅に置かれた方たちのために働く人々がいること、など。他の人の話を聞いても感じたのは、こんな状況だからこそ、確かに神さまがはたらかれている、ということでした。自由に会えない今だからこそ、神さまが色々な人を不思議な形でつないで下さっている。特に祈りによってつなげられていることは、わたしたち信仰者としての強みだなと強く感じています。多くの人の祈りによって支えられていることを改めて感じ、そして今は、より多くの方々のために祈りたい、と思っています。