祝叙階
昨年に続き、横浜教区に司祭2名と助祭1名が誕生しました。コロナ2年目で、叙階された師をはじめ、準備を担当された地区のご苦労はいかばかりであったかと拝察いたします。YouTubeで式に参列された方も多かったのではないでしょうか。荘厳な中にも喜びにあふれたお式でした。それぞれの式の中で、神奈川第2地区と静清地区の信徒が、相手の地区の新司祭叙階のために祈った「霊的花束」を贈り合う場面もありました。新司祭と地区の準備委員長、新助祭に原稿をいただきました。
ルドヴィコ茨木 西村英樹 (山手教会 助任司祭)
叙階されて、はや2ヶ月が経ちました。正直に申し上げますが、幸せです。
よくぞ司祭になれたなぁと、神の導きと司教様の英断に、毎日心から感謝しています。 4月10日から、山手教会に助任として赴任して、まだまだミサも つっかえつっかえで ぎこちないのですが、何とかやれています。
新型コロナウィルス感染拡大の中、都に緊急事態宣言が出され、神奈川県も まん延防止等重点措置が出ており、週日のミサが出来ない状況にあります。教会学校など、様々な活動が制限されるなか、みな工夫を凝らしています。実際、神学生の頃は、毎日ミサを捧げご聖体に与っておりましたが、皮肉なもので司祭になってからの方が、機会が減ってしまいました。今は堅忍の時と理解しつつ、多くの信徒の皆さまが、主日もミサに与れない状況の中苦しみを共にしているのだと思って堪えています。そして「神の国の為、福音の為、今は自分を練磨し力をつけるための時間なのだ」と自分を鼓舞して毎日を過ごしています。
世にあっていまの状況を考えると、のっぴきならない状況下にあるように思います。いっこうに変化しない状況、減らない感染者数、経済状況の悪化は徐々に真綿で首を締められるようです。世界では紛争の火種が大きくなり、差別や憎しみが蔓延しています。人間が生み出した数々の思想、合理主義や相対主義、自己責任という個人主義や自分さえよければという功利主義など、イデオロギーは自分たちの在り方を見失わせ、神を覆い隠そうとします。
コロナ禍にあって、多くの活動が制限されています。私達の信仰、価値観、何を大切にして何を守っていくのか?を問われている現状があります。ですがそれは逆に言うなら、「イエス・キリストは世に打ち勝っている」ことに思いをはせ、贖われた自分を感謝のうちに見つめ、この世にあって「目に見えない神の目に見える恵み」として教会が神の栄光を表す時なのではないでしょうか。
助けを必要とする誰かのために、抱きとめ肯定され愛されることを必要とする誰かのために、主が用いて下さいますように。祈りつつ感謝と喜びをもって歩む、司祭召命でありたいと思っています。
コロナ禍の叙階式準備
神奈川第二地区 鷺沼教会 山邉裕一
それはゼロからではなく、マイナスからのスタートでした。20年7月、西村神学生助祭叙階式を、出身教会鷺沼の主任神父様は欠席。神父様は、体調不良に少しの勘違いが加わり、参加を見合わせられたのでしたが、代役も立てず、教区への確認を怠ったことは教会委員長(当時)である私の失態でした。西村神学生、そしてご家族に大変寂しい思いをさせてしまいました。 司祭叙階式では二度と失敗はできない。
20年秋、叙階準備委員会を、神奈川第2地区各教会から選出された委員によって結成、水面下で準備を開始しました。コロナ終息は当分見込めないと判断し、早々にパーティーなし、一般信徒参列なしを前提とすることにしました。
会えない、集えない状況で、いかにして地区として叙階式への機運を高めていくか。また当然制限への反発も予想されました。叙階式を盛り上げていきましょうと訴えながら、一方で叙階式に皆さまは参列できないと言うのはとても厳しいことでした。
21年2月3日、叙階式日程が正式発表されると、教区事務局に事務局長を訪ね、概要を確認。新司祭を按手で祝福する為なるべく多くの神父様に来て欲しい、その分信徒は西村師の親族・招待客、スタッフに限定する。想定の通りになりました。
地区の皆さまとの連繋以前に、鷺沼内での一致も簡単ではなく、なぜ出身教会の信徒を蔑ろにするのかという不満が燻っていました。
何か妙案は?すると式も間近に迫った準備委員Zoom会議の中で、地区合同で霊的花束を集め贈呈する提案が出され、満場一致で採用されたのでした。その後、上杉助祭の静岡教会とも霊的花束を贈り合うことになりました。
困難の多い叙階式でしたが、式が近付くにつれ、聖歌・オルガン奉仕者や典礼等、必要な人材が集まり纏まっていくのを感じました。タレントと時間を費やし準備してくださったのは、当日式に与れない沢山の信徒の方々でした。
21年3月20日、果たして、調和のとれた素晴らしい司祭叙階式が行われました。そこには、霊的花束を通して、参列できなかった多くの信徒の祈りが、鷺沼のみならず、地区、また県まで越えて、大きな力となって働いていたと思います。
全てのお恵みに感謝し、これからも西村新司祭のためにお祈りいたします。
ルカ 上杉 優太(雪ノ下教会 助任司祭)
4月29日に静岡教会にて司祭叙階の恵みをいただきました。新型コロナウィルスの感染予防のため、皆様を叙階式にお招きすることはできませんでしたが、梅村司教様や神父様方、実習先の皆様、一粒会の皆様をはじめとした多くの方の祈りと支えによって司祭に叙階されたのだということを実感しています。
心より感謝申し上げます。
神学生として自分の召命を識別する中で悩み苦しんでいたとき、様々な方々を通して主が救いの手を差し伸べ、励ましてくださいました。叙階のお恵みは、決して自分の力ではなく神の力によるのだということを日々感じています。毎日のミサの中で、この自分がミサを司式し、主の言葉を述べているということに神様の力の偉大さ、いただいたお恵みの大きさを実感しています。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くことのできる司祭になりたいと思っております。今後ともお祈りくださると幸いです。
5月より鎌倉の雪ノ下教会にて助任司祭として働いております。残念ながら、コロナ禍にあって、信徒の皆様と満足に交流することが未だできてはおりません。こういった状況にあって、できる限りの範囲で、どのように司牧し神の愛を証していくのかを問いかけられている思いがしています。
司祭叙階を待っている間、これまで苦しかった出来事について、そしてコロナ禍で世界中の人々が苦しんでいることについて黙想し、祈ってまいりました。ときに自分の無力さも感じました。しかし、信仰の大先輩である殉教者の方々のことを、苦しい状況の中でも神を賛美し、感謝の祭儀を捧げてきた方々のことを思い出しました。苦しみの時にあってこそ、主はともにいてくださる方です。
私たちの信じる神は、どんなに悪いことからも良いものを引き出してくださる力を持った方であり、誰よりも私たちを愛してくださる方です。力強い神の愛に信頼して希望をもって、苦しむ方のために祈ることが求められているのだと思います。会って話をすることが難しい状況ですが、場所は離れていても私たちが主のもとに心を一つにして祈ることができますように。
これからも、横浜教区から多くの召命が生まれること、そしてコロナ禍の一刻も早い終息をお祈りしております。
静清地区 静岡教会 教会委員長 菊地 潔
上杉優太師の司祭叙階式が執り行われた2021年4月29日の夜、配信された叙階式の動画を自宅で見ているとスマホにメール着信が。「よか叙階式やったね。元神学生が教会で活躍してる姿ば見れてうれしかばい」と長崎弁。長崎の小神学校で私の指導係だった先輩の元神学生からのメールです。
コロナ禍で教会活動にも新しい生活様式が求められる中、叙階式の動画の配信はトレンドから主流となり、当日、式の進行を務めた私の姿も少し映り込んだのか、先のようなメール着信へと繋がったのです。
今回、上杉師叙階にあたり静岡教会では叙階式実行委員会を12月に立ち上げました。特に委員長は置かず、各係が各々担当する業務について責任もって進めることとしましたので、全体での会議も、3回程度の開催となり特にトラブルもなく無事当日を迎えることができました。
加えて、1か月前の3月20日西村英樹師の司祭叙階式が執り行われた鷺沼教会様からは、多くのアドバイスをいただき私共静岡教会に最大のアドバンテージとなりました。
私が叙階式モードになったのは叙階式の1週間前。当日の司式進行の内容についてについて横浜司教区副事務局長の谷脇神父様から了解をいただいてからです。毎晩、鷺沼教会での叙階式の動画を見ること数知れず。視聴速度を1.5倍速としたことで、当日の静岡教会での叙階式は逆にスローに感じられ、全く慌てること無く進行できました。叙階式では多くの教会の信徒の皆様から上杉新司祭へ霊的花束や祝福のお言葉をいただきましたが、これも彼の人徳によるものなのだろうとこちらも嬉しくなりました。また、鷺沼教会の皆様、特に委員長様には、私が時間帯も考えず送信した問い合わせに丁寧にご対応いただきましたこと改めて感謝申し上げます。
コロナ禍で祝賀会は催せないことを残念がる声も聞かれました。確かに新司祭誕生の瞬間を祝うことや祝賀会という物質的な喜びは得られませんでした。しかし、祝賀会という一過性の喜びで終えるのではなく、私たち信徒一人ひとりは新司祭の今後の司牧活動を祈りを通して支えていくことができることを喜ぶ、喜び続けることができるのです。コロナの終息が見えない中で、司祭叙階を通して祝いの在り方も多様性が求められているのかもしれません。
助祭叙階ご挨拶
助祭 アウグスティノ 水上健次
+主の平和 この度4月25日に山手教会で助祭叙階のお恵みを頂きました、山手教会出身の水上健次と申します。皆さまのお祈りに支えられてこの日を迎えられることができ、感謝と喜びに満たされた助祭叙階式であったと振り返り思い出しております。そして、司祭召命への道を示してくださった天国の飯野雅彦神父さまにも助祭叙階の報告をしました。
みなさま、ありがとうございます。私は三人兄弟の長男です。カトリック信者は私だけですが、いつも心配してくれる母、亡くなる前に召命の道を応援してくれた父、そして理解してくれる弟と妹にも感謝です。
現在、神学院の毎日のミサの中で同級生の助祭と交代で助祭奉仕の努めを果たしておりますが、失敗と反省の連続です。でもこれも先輩神父さまが辿った道だと思い、感謝と喜びをもってミサに与っております。今は日々の生活の中で、主と共に歩みながら少しずつ助祭になっていくのだなという感覚でおります。
これからも司祭召命への道は続きます。どうぞ私たち助祭・神学生のためにお祈りください。私たちも皆さまのためにお祈り致します。 賛美と感謝のうちに。