共同宣教司牧ニュース 32号

葬儀等への信徒の関わり方コロナ禍での信仰者としての自分が気付いたこと

芹田信一( 横須賀 大津教会 )

コロナは、教皇の言われる「すべてのいのちをまもる」で問われた、社会の分断、差別、貧困などの社会問題、政治の役割を、私達に突き付けてきたのではないでしょうか。ミサや集会も制限され、これまで何気なくミサに参加していた自分の信仰を見直し、いつもより祈り、聖書を読み、再開されたミサには真剣に向き合うことで、神様を日常で感じるようになりました。
このような中「葬儀等への信徒の関わり方」講座に参加しました。葬儀を模擬しての講習では、温かい愛に包まれた葬儀等をどのように行うかを学びました。主とともに、主の名に集まる方々が送り出すことの大切さと尊さを信徒の方にお伝えできればと思います。コロナ禍で大変な折、実りある講座を開講していただき、ありがとうございました。

コロナをとおして思ったこと

講師 川辺克郎( 藤沢教会 )

このパンデミックをとおして見てきたことは、医学や科学の進歩を過大評価し、もう様々なことをコントロールできると思っていた私たちが、新種のウイルスに対しては、なすすべもなく、あっという間に世界中は飲み込まれて行ったということです。過信していた医療体制は、崩壊しそうです。そのような中で思ったのは、私たちは自然に対して、まだまだ本当は無知で無力な存在だと言うことです。私が関わらせていただいている「葬儀」関連の講座でも、死の問題と向き合います。そこでも、そんな無力な私たちと向かい合います。そのような時が、人知を超えたお方に眼を向けることが出来る機会になれば、私たちが、より良く生きるための道筋を見出していくきっかけになれるかなと思っています。

祈りのヘルパー

講師 植栗彌( イエズス会司祭 )

『聖書』には生きた力があるので、心を込めて触れるなら、信仰者の心を高めたり、熱くしたりしてくれます。このコースでは、次のようなヘルパーを養成することを目指します。つまり、やり易い仕方で『聖書』から生きる力を汲むようお世話したり、『聖書』で祈る会を設けたりするヘルパーです。方法(ノウハウ)がわかり、信徒仲間に祈りの場を提供しようとする仲間が得られたりして、生きがいをもって小教区に新しい息吹をもたらすようになれることでしょう。


チームメンバー 熊谷容子( 鹿島田教会 )

コロナ禍でしたが、少人数の祈りの会であったことも幸いし、対策を取りながら昨年度は月一の祈り会を行いました。この様な状況下で祈りの大切さを実感し、だからこそ心から祈りを捧げる事が出来たのではないでしょうか。講座担当ですが、受講者の方々の仲間に入れていただき、共に祈れたことを感謝するばかりです。私にとってこの講座は心の浄化です。場を提供して下さった教会の方がたに感謝いたします。


典礼奉仕者養成コース フォローアップ

典礼委員 田口矩之( 磯子教会 )

教皇フランシスコ来日後丁度1年、また教会活動がコロナ感染対策のために影響を受けている時期であり、今回の集いは「教皇がのこしたもの、これからどうする」、「新型コロナウィルスの体験を振り返る、聴き合う」のテーマで司祭のお話と分かち合いを行いました。

感想

1.参加希望者は当初36名でしたが、11月に入ってからのコロナ感染者急増によりキャンセルが続き、24名に減少しました。逆に言えば、このような状況下でこの集いに参加して下さった方々の参加意識の大きさを感じ、深く感謝いたします。
また宿泊、飲食などの事業者がキャンセル連絡を受けるときの苦しい気持ちを痛感しました。

2.参加者が各自の感想、意見を多々述べてくださり、今回のテーマはタイムリーであったと感じています。

3.教皇来日に関する分かち合い:教皇フランシスコから受ける感動とは別に、これをイベントとして終わらせてはならないという感想も多くあり、担当典礼委員として大きな喜びでした。


参加者 真鶴教会 典礼係 岩堀友子

典礼奉仕者養成コース「フォローアップの集い」に参加させて頂きました。コロナの中少しだけ不安もありましたが、参加したい気持ちが優先し、参りました。参加して本当によかった。
久我神父様のお話に感銘しました。すぐに、あー本当に来てよかったと感じました。その後教会奉仕の生活、信仰生活の分かち合いから、同じ信仰を持つ仲間としての繋がりを感じられるまでになりました。そして慰められました。
間違ってもいいのですの言葉が残っています。
さあどう生きていくのですかと問われた感じがいたしました。
改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。


典礼委員長 宮内毅( 横浜教区司祭 )

まず、この「フォローアップの集い」を開催できたことが本当によかったと思っております。集まることが難しい中で、集まれたこと自体がとても嬉しかったです。
久我神父様のお話とその後の分かち合いによって、すっかり心の隅の方に追いやられてしまっていたフランシスコ教皇様の来日の記憶が鮮やかに蘇ってきました。振り返ることで、体験がより自分の中で確かなものになっていくということを学ばせていただきました。新型コロナウィルスの体験の分かち合いでは、自分がこれまでいかに「コロナ以前にできていて、今はできないこと」ばかりに目が行ってしまっていたかに気づかされました。そして、「今できる、あるいは今だからこそできること」を実行していきたいと思いました。典礼委員の皆さん、そして参加者の皆さんにただただ感謝です。


傾聴 良い聴き手になるために

武藤 禎( 中原教会 )

今回のコロナ禍で気づいたのは、ミサに出られ、御聖体をいただけることのありがたさでした。復活祭はオンラインでのミサにあずかりました。とてもありがたかったのですが、御聖体をいただけないというのは大きなことでした。今まで当たり前だったことが当たり前でないことに気づきました。今あずかれるようになったミサに本当に感謝しなければいけないと思います。
また1月2月10月に傾聴講座を受けさせていただきました。「聴くことはそれだけで援助になる。たった一人聴いてくれる人がいれば人は生きられる。」という言葉が印象に残りました。講師のシスターが、「教会で元気のない人に声をかけてください。まずは挨拶だけでいいんです。話ができる相手がいることが大切です。」と言われました。コロナ禍でのコミュニケーション、傾聴は難しいですが、教わったことを少しでも生かしていけたらと思います


西岡まゆみ( べリス・メルセス宣教修道会 )

2020年3月に終了するはずの講座が、新型コロナウィルス感染の拡大により最終回のセッションを開くことがしばらく出来ませんでした。三密を避けること、この間講座を開く機会を探しながら10月藤沢教会と新子安教会のご協力で最終回を迎えることが出来ました。
傾聴の講座を担当していて思うことは、「人は誰も自分の話を聴いてほしいのだということです。」毎回多くの方が参加してくださいました。「家族の方の話を聴くのが難しい」「認知症の方の応対をどのようにしたらいいのか」「子どもの話が聴けない」などなど、それぞれの受講動機があります。良く聴くことが出来なかったこと、大事なメッセージを聴き逃してしまったこと、よく聴くことが出来なかったことから話を上手に聴いていたらきっと良い関係性が生まれ、何かが変わっていたでしょうと。そんな思いを持って参加されていました。参加者の方たちと3回で「よい聴き手になるために」を学び、深め続ける初めの一歩になるようにと願っています。人は心から話を聴いてもらった時に、ざわざわしていた自分の気持ちが落ち着き、考えが整い、生きる力が湧いてくる(前向きになる)ものです。「聴くことはそれだけで援助になるからです。」よい聴き手になることは、相手の方が理解してもらえた、受容してもらえた、共感してもらえたと実感すること。相手の方の成長を支えることになります。参加者の一人ひとりが過去に体験していることです。

どのような日常であっても人は聴いてほしいのです。その関係性によって人は自分の人生を切り開くことが出来るのです。コロナ禍にあって対面で聴くことが難しくなっています。今こそ、電話で、手紙で、孤立している人、孤独な人、苦しんでいる人の話を聴いていただきたいと願います。関係性を創ること、そのために気がかりを持っている自分が、相手の方の気がかりを気遣うことから始めるように意識したいと願っています。誰にとってよい聴き手になるのかともに深め続けるようにしたいと願っています。

会場が変更になって参加が出来なかった方には心からお詫び申し上げます。

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